車いすマラソン
僅差の車いすレース
車いすのレースは男女とも最後のスプリントで優勝が決まるスリルに富んだレースだった。男子は渡辺勝が2位のマルセル・フグ(スイス)と同タイム(1時間28分01秒)ながら着差ありで優勝した。「中距離でスピードを磨いてきたので、最後のスプリントで勝てたのは嬉しい」とレース後の記者会見で語った。速いコースに変更した割には余り速くない優勝タイムだが(速いコースへの変更と言われながら、優勝タイムは控え目なタイムとなったが)、渡辺は「タイムを狙えるレースが出来るコースだが、大きな集団になったので、駆け引きとけん制のレースになってしまった」と説明した。「勝ちはしたけど、積極的に攻めたレースではない。今後は積極的に攻めるレースをしたい。これからはトラックをメインにマラソンにもチャレンジしていきたい」と抱負を語った。
男子と同じく、女子のレースも1位のアマンダ・マグロリー(米国)と2位のマニュエラ・シャー(スイス)は同タイム、着差ありの僅差のレースになり、「最初誰が勝ったのかは分からなかった。」と言う。「久しぶりのマラソンだったので、少し緊張していた。ラストに自信があったわけではない。1回のスパートで決めなければならない、と思っていた。」と説明するマグロリーは、その一回のスパートで優勝を決めた。優勝候補だったリオパラリンピックマラソン金メダリストのスウ・レイコウ選手はレース中盤でコーナーを曲がり損ねて優勝争いから脱落した。
マラソン
記録ラッシュの東京マラソン
コースが新しくなった第11回の東京マラソンは記録ずくめの大会であった。優勝したキプサングとチェプチルチルは、それぞれ東京マラソンの大会記録、そして日本国内最高記録を更新したのである。キプサングは、2時間03分58秒で優勝、2時間05分42秒だった東京マラソン大会記録、そして2時間05分18秒だった日本国内最高記録を更新したのである。一方のチェプチルチルは2時間19分47秒で優勝、2時間21分27秒の東京マラソン大会記録と、2時間21分18秒の日本国内最高記録を更新したのである。キプサングは、アジアでの最速マラソン(以前は今年のドバイで記録された2時間04分11秒)も更新している。
自己ベストを4分半更新したチェプチルチルは歴代16位のマラソンランナーとなり、一方のキプサングは4回目の2時間3分台を記録したのである。他に2時間3分台を2度以上記録したランナーはいない。
男子のレースは最初の5キロが14分13秒、最初の10キロが28分50秒、と超高速で始まった。ハーフの通過は1時間01分22秒。キプサングが金曜日の記者会見で「速すぎた」と称した昨年のベルリンマラソンでのハーフ通過タイムの1時間01分11秒ほどではなかったが、予定していた1時間01分30秒よりは速かった。40キロの通過は1時間59分29秒、と2時間3分台が難しくなるタイムだったが、「未だ2時間3分台が可能だと思ったので、必死に走った」とレース後に語ったキプサングは、見事3分台を確保した。「私は2時間3分台を4回、4分台も4回走っている」と記者会見で語ったキプサングの記録への執着心を垣間見ることができた。2位のギデオン・キプケテルは自己ベストを2分以上更新する2時間05分51秒を記録した。1位から4位までが、日本のレースでの順位別最高タイムを記録する素晴らしいレースだった。
一方女子のレースでは「30キロでペースメーカーがいなくなった後、ペースを上げる予定だった」と記者会見で説明したチェプチルチルが30キロを1時間40分26秒で通過した後次の5キロを15分46秒で走り、独走態勢を築き優勝した。2位のディババも1分以上自己ベストを更新する2時間21分19秒を記録している。
日本選手にとって世界選手権の代表権がかかる大事なレース。最初からハイペースでスプリットを刻み、ハーフを1時間01分55秒で通過したのは、初マラソンの設楽悠太だった。 しかし、「30キロを過ぎた頃からきつくなり始めて、35キロ以降は経験したことがないきつさを体験して」ペースがガクリと落ち、井上大仁に抜かれてしまった。2時間08分22秒で8位に入り日本人1位となった井上は世界選手権の代表に大きく前進した。一方設楽も2時間09分27秒の日本選手初マラソン6位のタイムを記録した。彼にはマラソンランナーとして明るい未来が待っているはずだ。