*オリジナルのリリースの正式言語は英語であり、この内容及び解釈については英語が優先となります。
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大会運営を陰で支えるヒーローたち
各アボット・ワールドマラソンメジャーズ大会では大規模な運営作業が発生しています。
道路の一つ目の柵を設置する作業から、最後のバナナをランナーに渡す作業まで、経験豊富なスタッフがボランティアの方々の力を借りて実行し、大会を実現しています。
7週間で6大会中の5大会が開催されるという特別な今シーズン。忘れられないレースや体験をランナーたちに提供する縁の下の力持ちにスポットライトを当てることにしました。
AbbottWMM大会のヒーローたちの体験を通じて、大会運営の裏側を覗いてみましょう。
JOHN KUNKELER - BMWベルリンマラソン
ベルリン在住の73歳で、ベルリンで有名なジャズクラブのオーナーです。
ベルリンマラソンには1997年から携わっています。主催者スタッフの一員として、コースの管理や計測にも関わっています。AIMS公認のグレードA計測員です。
私は、コース沿道の音楽も管理しています。最初は10組のバンドからスタートし、今年は90を超えるバンド、1,000人以上のミュージシャンがパフォーマンスしました。
私にとってこれは仕事ではなく、イベントに関われることは喜び、そして誇りです。ベルリンのコースは世界最速です。ベルリンの壁崩壊以降、ベルリンは変わり続けています。変化し続ける街を目の当たりにするのは興味深いですが、自分にとって最も思い出深いのは、初めてフィニッシュラインがブランデンブルク門に変更された年の大会でした。
ANDREW SMITH - TCSロンドンマラソン
Virgin Moneyロンドンマラソンの運営ディレクターで、大会を主催するLondon Marathon Events (LME)で21年働いています。
大学卒業後そのままこの仕事を始めました。と言うのも、デービッド・ベドフォード氏(当時のレースディレクター)にパプで話しかけられ、そのまま採用されたからです!まずは事務職からスタートし、イベント運営に異動しました。15年間フィニッシュのディレクターを務め、数年かけて現在のポジションにたどり着きました。2012年のロンドンオリンピック・パラリンピックマラソンでも、スタート・フィニッシュエリアを担当しました。
LMEのビジョンは、活動を通じて人々をインスパイアすることです。運営チームは、一般ランナーがマラソンを完走できるようにステージを整え、彼らの走りを通し、沿道やテレビを通じて観戦する人々をインスパイアします。
最も印象深かったのは、2003年、ロンドンマラソンを6日間以上かけて完走したMichael Watsonのためのフィニッシュ運営を行った時でした。元プロボクサーの彼は、ボクシングのリングで人生を変えてしまうような傷を負い、二度と歩けないと宣告されていたのです。彼があの日示してくれた勇気と決意は、私の中で永遠に生き続けます。
ロンドンマラソンは自分にとって、世界そのものです。大会に長年関わることが出来て誇りに思います。
Andrew Smith, George Stamatiades and John Kunkeler
LARRY MAHER - BANK OF AMERICAシカゴマラソン
シカゴ西部の郊外の町、ベンセンビル出身です。生粋のシカゴ市民で、PR企業の営業マンとして働いています。
シカゴマラソンに最初に関わったのは、2001年にランナーとして参加した時でした。それは自分にとって初めてのマラソンでもありました。その後さらに2大会に出場しました。ボランティアとして初めてシカゴマラソンに関わったのは2005年でした。バスのボランティアツアーガイドとして参加し、ランナーからの質問に答えたり、Expo到着後にランナーが必要となる情報を提供していました。翌年は、Expoのインフォメーションブース担当に任命されました。そして数年後、Expoの主要ボランティアとなり、大会当日は、ハリソンにあるインフォメーションテントでキャプテンを務めるようになりました。
大会との関わりにおいては、"ベストなこと"が沢山あります。素晴らしいスタッフのためにボランティアし、素晴らしい人々に奉仕し、モチベーションの高いランナーに対応し、彼らが難しい任務を達成するのを手助けします。
最も印象に残っているのは2017年です。Jenniferという女性がビブスを紛失し、大会に出るためにビブスを探すのを手伝いました。無事に完走した彼女は、テントに立ち寄りお礼をしてくれました。彼女はその翌年も大会に参加し、大会当日にクッキーをプレゼントしてくれました。
2019年にはボランティア・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。大きな驚きとともに、恐縮しました。素晴らしいボランティアの皆さんと一緒に活動していて、自分がその賞の候補に挙がることすら想像していませんでした。お陰で素晴らしい年になりました。
ALAN GRAZIOSO & PATRICIA ALVARADO NÚÑEZ - ボストンマラソン
ボストンマラソンの15km地点、ネイティックにあるエリート選手の給水所で、共同キャプテンを務めています。
私たちは23年前にボストンで出会いました。私(Alan)はコネチカット州の南の小さな町出身で、Patriciaは中央アメリカのパナマ出身です。2009年の第113回ボストンマラソンで初めてボランティア参加して以来、チームに携わるのは今年で11年目です。
ボストンマラソンにおいてベストなことは、数多くのボランティア、ランナーコミュニティ、そしてスタッフが、年に一度、ボストンの素晴らしいレースを実現するために力を合わせることです。ボランティア仲間たちが新たな参加者を歓迎し、ドーナッツを食べて、給水においてサポートを必要としているランナーたちのためにテーブルとボトルを準備する姿を見ると嬉しくなります。彼らの期待や興奮が、手に取るように分かります。
思い出深い瞬間は本当に沢山あります。ある年はひどい天候で、朝7時には雷雨と豪雨に見舞われていました。みんなで凍えていたところ、近所の住民が玄関先で雨宿りさせてくれました。嵐が去ってすぐに、近づいて来るエリート選手を迎える準備を整えました。
毎年マラソンでボランティアできるのを楽しみにしています。私たちにとって、春の恒例行事になっています。コロナウイルス感染症の影響で大会が中止されていたので、今年はいつも以上に特別です。ボストンマラソンのボランティアとして、すごく満足感を得ていますし、とても誇りに思います。
山本悦子 - 東京マラソン
東京在住、夫と13歳の息子と暮らす48歳です。
今年設立された社会協働事業本部長として、東京マラソンのボランティア運営とチャリティ運営の管理を担当しています。自身もランナーであり、マラソン7大会を完走しています。2007年の東京マラソンを走りたいと思ったのですが、エントリーが間に合わず、代わりにボランティアリーダー研修に申し込みました。結果として東京マラソンボランティアセンターでのフルタイム勤務が始まり、それ以来ずっとこの仕事を楽しんでいます。
この仕事で最も素晴らしいことは、多くの人に出会えること、そして、大会のイメージや雰囲気を形作る上でとても重要なボランティアの皆さんと一緒にお仕事できることです。
2016年からは東京2020大会組織委員会のボランティアアドバイザーとしても活動し、パラリンピックマラソンのコースボランティア1500人の募集と、当日の管理・運営業務の責任者を務めました。
次回開催する大会では、この難局をともに乗り越えた皆さんと一緒に、スポーツの力を再発見できることを願っています。
Larry Maher, Etsuko Yamamoto, Patricia Nunez and Alan Grazioso
GEORGE STAMATIADES - TCSニューヨークシティマラソン
私は80歳(まだ若い)です。ニューヨーク・クイーンズのダッチキルズに住んでおり、かつて葬儀ディレクターをしていました。1980年、New York Road Runners (NYRR)が地元のグループに支援を求めた際、ダッチキルズの市民団体はその求めに応じ、それ以来欠かさずNYCマラソンをサポートしています。
当初は、ボランティアを集めること、15マイル地点の給水所を管理するのに必要なものを揃えることが任務でした。音楽を流したりアナウンスを行う、また、各国の言葉でランナーへの声援を送るために使う音響システムのための電源の提供を、近隣の企業や住民にお願いしたりもしました。大会の前夜には、NYRRへの報告事項が無いかどうかチェックしに出かけました。
大会に関わっていて素晴らしいこと、それは、パスポートを持って出かけることなく、世界中のランナーが走るのを目の当たりにできること。こんなことが出来る場所、他に無いでしょう?もう一つ良いことは、12時間で何千人もの友達ができること!
一番印象に残っているのは、大会参加していた市長のEd Kochが立ち止まり、「僕、どんな具合に見える?」と声を掛けてくれた時のこと。みんなで「どんな気持ちですか?」と返すと、「最高だよ!」と大声で返してくれました。
ボランティア仲間と再び活動できること、友達、そして"世界"とともに、今年一年で最高の瞬間を迎えるのを本当に楽しみにしています。
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*オリジナルのリリースの正式言語は英語であり、この内容及び解釈については英語が優先となります。